町田市にある浄土真宗のお寺

寺院縁起

 寺記によると、開基祐玄は西本願寺第十二世准如法主に帰依し門末となり、元和元年九月朔日、本尊阿弥陀如来御木像を賜り寺号を許されました。その後、第四世意的が貞享三年三月九日に東本願寺に転派して今日に至っています。
また、口碑によると、戦国争乱の世、小田原の北条氏が関東を支配していた時、甲斐の武田信玄が北条の隙をうかがって、鎌倉に出陣の折、三浦郡にあった某寺に宿を請い、同寺の住僧は甲斐に縁故があったことから、この申し入れを受け入れました。
しかし、武田氏は目的を遂げられずに退去しました。このことが北条氏に密告され、北条氏はこれを怒り、同寺及びその近傍の同宗の僧徒を駆逐し、または処刑しました。正山寺以前の当寺の住職も、その被害を蒙り、相州小山(現在の町田市小山町馬場)に難を逃れました。
祐玄の時まで小山に在り、小山寺と称していましたが、その後、上小山田野中谷戸に移築して正山寺に改めたと言われています。

 尚、忠生村誌には江戸末期の上小山田出身の国学者小山田与清の考証として、次のようなくだりが引用されています。
 「西本願寺の古文章には、武州多西郡小山田村伯耆(ほうき)沢小山寺といふ。
  さては伯耆が谷とも伯耆沢ともいへり。小山寺といふも小山田の田をはぶけるにや。
  今はもじを改めて正山寺となんかける」

shousan_kanban_1511

 正山寺が創立された元和元年は、大阪夏の陣のあった年で、五月に大阪落城、秀頼、淀君らが自殺して徳川の天下となった年でありますが、これは前述の北条が滅亡して二十五年後であります。すなわち、正山寺以前の住職らを駆逐した北条も、秀吉によって滅ぼされ、その秀吉も家康によって滅ぼされました。まことに群雄割拠の戦乱の世、栄枯盛衰の世でありました。
 正山寺は代々世襲制により法灯が護持されてきたもので、現住職まで十四代を数えます。まことに歴代住職の御苦労を思わずには居れません。

shousan_keidai_r_1511

<付記>真宗大谷派からの離脱について
 本山東本願寺と真宗大谷派の紛争は、昭和44年より10年以上の歳月にわたり、真宗大谷派は新宗憲を制定し、御法主から本山本願寺住職と真宗大谷派官長という地位を奪い、門徒の主座たる門首の座のみが与えられるということになりました。ここに宗祖親鸞聖人以来の血脈による法灯伝持が崩れ、末寺もまたその影響あることを恐れて全国300ヶ寺が真宗大谷派より離脱しました。
 東京本願寺御住職であらせられた御門主の御長子大谷光紹新門様も御門主の御意向に従われ、東京本願寺を真宗大谷派より独立されるべく働かれ、単立としての認証を都知事より受けられました。ここに改めて新門様の「声名」を後記します。
 当正山寺も混迷の度を深める真宗大谷派を離れ、血脈による法灯伝持の為、離脱を決意し、昭和56年11月18日東京都より認証を受けました。
 私たち正山寺檀家は、東本願寺を祖山として崇敬し、東京本願寺を本山とすべく新門様を我らの善知識として仰ぎ、親鸞聖人の教えたもう僧伽の形成へ向けて尽力する事となりました。

<声名>
 宗祖親鸞聖人以来、800年の永きに亘って護持せられ来たった法脈血脈の伝統が一挙に崩壊せんとする、門信徒不在の様相を呈しています。
この宗門の危機を深く憂えられて、さきに本山本願寺の独立を宣言せられた御法主台下の御深旨を体し、全国寺院、僧侶、門信徒各位の要望に応え、東京本願寺も独立を宣言したのであります。
然る処、その後、宗門の事態は、ますます悪化の一途をたどり、ついに、現存する「本山本願寺」の抹消、能化者・師主たる「法主」の否定、さらには歴代法主の遺訓の無視による「法統」の断絶・消滅を敢て計るという、まさに正法隠没の末期的状況を現出したことは、まことに痛恨の極みであります。
 この時に当たって、本日、東京本願寺の独立申請が認証せられたのであります。都知事殿はじめ関係官庁各位の、深く、暖かい御理解と高い視野に立った御判断に基づく今回のご決定に対する感謝の気持は、言葉には尽くせません。これひとえに全国の寺院住職僧侶・門信徒各位が、共に多年に亘る法難を超えて、今日に至るまで護念して来られた、その現われと衷心より感謝せざるを得ないのであります。
 今や東京本願寺は、一つの転機を迎えました。これを惟うに、御開山親鸞聖人はじめ、御歴代の師徳を愈々讃仰しつつ、ことしえに本願寺の伝統を守れとの、弥陀如来の已むに已まれぬ大悲の御催促と頂くばかりであります。
 まことに「如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし、師主知識の恩徳も、骨をくだきても謝すべし」の御さとしを今こそ肝に銘じ、無漏の慧灯を高くかかげつつ、火宅無常の世に無碍の一道を歩まんとするものであります。
今、この願いを一つにし、一念帰命の信心に生きる僧俗各位、願わくば東京本願寺の、この新しい門出を証誠護念して、大いなる歩みを共にせられんことを。
 南無阿弥陀仏

 昭和56年6月15日 本山本願寺法嗣 大谷光紹

(昭和62年発行の本堂落慶記念誌より)

PAGETOP
Copyright © 2008 - 2023 野中山 正山寺 All Rights Reserved.