ご法要の表白には
「私達凡夫が阿弥陀如来の大悲の願船に乗せられて娑婆世界を渡らせられる」
とありますから、私達は好むと好まざるとに拘わらず、弥陀大悲の本願の船に乗せられている事になります。
更に表白には
「阿弥陀如来のナンマンダブと言うお名前は、私達凡夫の犯した悪を徳に変えて下さる知恵を持っている」
とあります。何と素晴らしいみ教えでしょう。ご法要はこう言う事を教えて頂くご縁になるのです。
しかし、どのように素敵なみ教えでも私達に実行出来なければ無意味に終わってしまいます。
更に表白には
「私達凡夫の行い易い教えで、どのように愚かで鈍くても行い易い易しい彼岸への道である」
とあり、更に
「本当の信心でなくても、お念仏を唱えて信心が頂ければそうなったご縁を喜ぶべきである」
とあります。
私達の毎日は、自分のことは自分で出来ると自分の力を過信して、自分を守る為には他人と争っても
自分の思い道理にしょうとします。その為、敵を作り物事がうまく運ばなくなります。
それを決して自分の責任にせず、俺は悪くない、あいつが悪いと高をくくっていますが、
教えではその原因を、自分の思い道理にしようとする貧しい欲、煩悩の為だとしています。
物事がうまくは運ばなくなると、私達は外道と言う自分の外へ道を求めて走り回り、
祟りと言って先祖供養や水子供養をして解決の無い道をさ迷います。
これを教えでは愚かと言うのです。また、素晴らしいみ教えがあるのに気付かないのを鈍いと言うのです。
しかし、このご法要で私達は、ハッキリと弥陀の願船に乗せられてお助け頂いている事を知らされました。
この上は阿弥陀如来のお助けを信じ、そのお名前をナンマンダブと口ずさみましょう。
さすれば、私達は過去の悪に縛られない快適な人生を生きる事が出来ましょう。
このご法要が皆様の上に幸多いご縁となる事を念じまして、お話を終わります。