浄土真宗の意味は、浄土へ参る為に自分の真実の姿を知る宗教であると申せます。
私達には他人の姿は良く見えますが、さてどうでしょう。自分の姿が分かりますか?
自力で何とかなると言う事では自分を分かっていないのです。
自分は年を取り、病気になり、死んでしまう、それをどうする事も出来ないのにです。
これ程愚かな事はありません。
宗祖聖人がご自分の法名の上に愚禿とお付けになったのも、ご自分を内観しての事でしょう。
私達の法名の上にこんな字を付けたら、その意味が分かっていればよいけれど、
馬鹿か気違いとしか思われません。そこが宗祖の有り難い所なのです。
人間の問題は外道では解決できません。それは自分勝手な思いだからでしょう。
内道すなわち自分の心を内省して本当の姿に会う時、嘘偽りの多い愚かな自己を
分からせて頂く事となるのです。また、それは決して自己の力で分かったのではなく、
阿弥陀如来のお呼びかけがあったればこそと有り難く頂いて行くのです。
そのような事のできない愚かな私達をこそ如来のお目当てであり、
常に「我を頼め」と御回向下さるのです。私達はそのご苦労に先ず合掌し、
報恩感謝のお念仏を唱えましょう。如来様の私達の心を悲しむそのお心は、
じっとしている事が出来ずに、いつもお立ち姿で私達一人一人を見つめていられます。
おいたわしい事でございます。有り難い事でございます。
ナンマンダブ ナンマンダブ ナンマンダブ。